超短編『神様のスープ』
騒ぐことを止めたら世界は静かでした。
平穏や平静や平坦や平均や平常や平和や、そんなもの。
どこまでもどこまでも開けた、なだらかで遠くまで見渡せる風景。
山も谷も滝も川も海も。巻き戻しのように、遠ざかって遠ざかってしまうので。
またいつかと懐かしさも瞬く間に神様のスープに融けて。
超短編『宝探し』
「ねえ、ママ。おじいちゃんのお葬式が終わったあとで、みんなでお食事をしたでしょう。あのお店に大きなソファがあってね、寄りかかるところと座るところの間にね、いろいろなものが挟まってたの。ライターとか、百円玉とか、つまようじとか」
居間のソファの上で、今年小学校に入学したばかりのミカが母親に言う。
目の前には、おやつのショートケーキ。真っ赤な苺が乗っている。
「お食事しないでそんなことしてたの?」
母親はのんびりとコーヒーを飲み込んで聞き返した。
「だって、ごはんあんまり好きなのがなかったんだもん。おじちゃんとかおばちゃんとかみんなお酒飲んだりしてつまんないんだもん」
「そうねえ」
「だから、健太くんと二人でソファで宝探ししてたの。どっちがたくさん見つけられるか競争したんだよ。見えないから、手を入れてつかんだものを、どんどんテーブルに並べてね」
言いながら、ミカは上着やスカートのポケットに手を入れる。
「健太くんが見つけたのは、折り鶴と、小さい鍵と、ビー玉と、銀杏」
それを次々とポケットから取り出して、テーブルへ並べて行く。
「健太くん、自分が見つけたのをミカにくれたの?」
「ううん、交換したの。わたしが見つけたのは、一円玉と、飴玉と、ボールペンと、おじいちゃんの指」
超短編『ゆらりゆらら』
誰もしらない。誰もいない。ずっとゆれ、ゆらりゆらら。
波間をずっと、いつまでもどこまでも。
小瓶はあかない。どうしても。
________________________________
お題は五十嵐彪太さんから拝借しました。
瓢箪堂のお題倉庫
http://hyotan50.blog.shinobi.jp/Entry/2067/
超短編『ササヅカ記』
ササヅカが山のような苺を持って帰ってきた。
僕の胡乱そうな視線に気がついたのか「苺ジャムとかソースとか苺酒とかさ作ろうかと思って」などと言う。好きにしたらいい。そう思っていたのも束の間、部屋中に甘ったるい匂いが充満したのには辟易した。
空気を入れ換えてやろうと、こっそり窓を開けておく。適当に閉めようと考えていたら、ベランダにスズメが舞い降りて来た。夢中になって眺めていたらササヅカに見つかって「今日は風が強いからホコリが入る」と言われ、窓を閉められてしまった。当然スズメも逃げた。口惜しい。
ササヅカが家中の瓶をテーブルに並べて、出来上がったジャムを詰めている。
苺ソースと苺酒のことは忘れてしまったのか「全部ジャムにしちゃったにゃ〜」などと呟いている。時々ササヅカは、語尾がおかしくなる。
ササヅカの作った大量のジャムが詰められた瓶。ササヅカが眠ってから数えてみたら、三十一もある。台所のテーブルは熱いジャムの入った瓶でいっぱい。ササヅカと僕は床に並んで夕食をとった。
ササヅカが保存食を作りすぎるのは、大抵落ち込むことがあった時だ。寝顔をのぞいてみたが、存外平和そうな顔ですやすやと寝息を立てていた。明日になったらジャムの貰い手探しを手伝おう。
居間でごろごろしながら夜の曇り空を眺めていたら、ササヅカが起きて来た。台所で水を飲んでいる。僕に気がつくと、寝ぼけ眼で「おやすみの握手」と手を出して来る。応じると、むにむにと嬉しそうに握って、また部屋へ戻って行った。
ササヅカが部屋へ戻ってから、また夜の曇り空を眺めていたら、ベランダの仕切りの向こうから隣室に住んでいるコユキが顔を出した。以前、柵を伝ってこちらのベランダを訪問したことがある奴だ。危ないだろうと叱ったら、落ちるなんてドジなことはしないなどと言い放った。
コユキはまた柵を伝って来るつもりか。慌てて起き上がり、窓を開ける。生温い夜風が吹き込んで来た。
予想に反してコユキはのんびりと首を傾げ、こんばんはと挨拶をしてきた。それから、ねえ苺ジャムの匂いがするの、そっち?と訊かれた。
ササヅカがたくさん作ったから売るほどある。ただし、苺ジャムだけ。それを聞いたコユキは、妙に嬉しそうに目を細める。明日、たぶんササヅカが真っ先に持って行くと思うと言ったら、コユキは、じゃあおやすみなさいと言い残して顔を引っ込めた。僕も窓を閉めて寝ることにしよう。
超短編『来年咲く花』
来年咲く花を決めなければならないのに、どうにも決めかねて、目をつむって「じゃあ、君と君と君と、あと君」とやったら、うっかり花じゃないものまで指差してしまった。
だから、来年あなたの花壇にはいつの間にかあれが咲いてしまうのだけれど、あなたは気持ちの大きなひとだから、きっと誰かのいたずらかそれとも僕の失敗と気がついて、あらまあと笑って許してくれるでしょう。
「ヒヤシンスとチューリップとムスカリと……あらまあ」
________________________________
お題は五十嵐彪太さんから拝借しました。
超短編『インターフォン』
オートロックもない古いマンションに住んでいます。
古いけれど造りはしっかりとしていて、近隣の音はあまり気になりませんし、住み込みの管理人さんがきちんとした方なので、おかしなセールスや勧誘などはほとんど訪れません。ゴミ出しの管理や共用部の掃除も行き届いています。屋上はありますが、入り口は厳重に施錠されていて、外部から来た人はもちろん住人も屋上へ出ることはできません。
先日のことです。インターフォンが唐突に鳴らなくなりました。インターフォンというより、ブザーと呼んだ方がふさわしいような古いものです。修理屋を呼ぶと、古いものなのでこの際新しくカメラつきのものに交換してはどうかと言われました。確かにカメラがついている方が安心です。値段もそう高くなかったので、思い切って交換してもらうことにしました。小一時間ほどで、あっという間に新しいインターフォンが取り付けられました。モニターは、居間の入り口と棚の間の壁に設置してもらいました。これで玄関の前に立っている来客の姿を確認して、すぐに玄関へ向かうことが出来ます。
その晩、もう午前零時を回っていたと思います。棚のものを取った拍子に手がぶつかって、モニターの通話ボタンを押してしまいました。マンションの廊下がモニターに映り、風の音ともつかない外の雑音をマイクが拾っています。当然、誰も訊ねて来ていないので玄関の前は無人です。
しばらく放っておけば自然とモニターは解除されるのですが、もう一度通話ボタンを押しても解除できるので、すぐに通話ボタンを押しました。
その時、向かいの住居のドアの前に誰かが立っているのが見えました。向かいと言っても、それなりに離れているのでインターフォンのモニターでは薄暗く見えます。お向かいさんに来客かとぼんやり思ったのですが、向かいには気のいい老夫婦が住んでいるばかりでこんな夜中に来客があるのだろうかと、不躾とは思いましたが、再度モニターの通話ボタンを押しました。
目を凝らして向かいの玄関先を見ようとして、はっと息を飲みました。
モニターいっぱいに、俯き加減の人影が映し出されていたのです。カメラを覆うように立っているのか、顔が良く見えません。
もしかして、酔って帰って来て自分の住居が分からない住人かも知れない、と思い至った時、マイクが音を拾いました。
『お湯を……沸かして下さい』
具合でも悪いのか、聞き取りにくい掠れてくぐもった声です。咄嗟に玄関へ走って行って、ドアを開けました。
ところが玄関の前はもとより、廊下には誰の姿もありませんでした。
気味が悪くなって慌ててドアを閉めて施錠し、居間へ戻って来ると、ちょうどモニターが解除される瞬間でした。
『お湯を……』
そんな音を残して、モニターは暗くなりました。
それ以来、間違って通話ボタンを押さないように気をつけています。
超短編『獄』
謂われなき罪状で投獄されたが、獄というにはお粗末で敷地から出られはしないが出ようとさえしなければ、どこに居ようが好きな時刻に好きなだけ昼寝をしていようが誰にも咎められない。
何を課せられることもなく、食事も豊富である。粗末というより豊かであった。
なんと居心地の良い場所であろうか。
誰もがみな笑って過ごしていたが、いつも桜の木の木陰に腰掛けて皆を眺め、浮かない顔をしている男が居る。
陰気な様子は近寄り難く、けれど気になって時折目を向けた。
ある日思い切って桜へ近づき、ここはこんなに居心地が良いのに、あなたは何故浮かない顔をしているのかと問うてみる。
男は首を振り、空を見上げ、地面へ顔を伏せる。
それきり動かないので立ち去りかけた。
「飼われている」
低く掠れた小さな声だった。
振り向くと、俯いたままの男の影が長く足下へ伸びていた。