短編『シマさんとルリコさん』

 シマさんはとても寂しがり屋だ。ちょっとどうかと思うくらいに。愉しい事は大いに愉しむ癖に、いつもその愉しい事が終わってしまうのを見越しては寂しがる。
 花を貰って、その花が枯れてしまうと言っては寂しがる。寂しがっているからと、また花を贈る。それも枯れてしまうと言っては寂しがる。
 春が来たと言っては喜び、春が去ったと言っては寂しがる。夏が来たと言っては喜び、夏が去ったと言っては寂しがる。秋になるといつも寂しそうで、冬であれば春が来るまで寂しがる。
 勿論、もっと日常的なレベルでも、そんな風な反復が繰り返されているので、非常に振り幅の大きい、良く言えば減り張りのある、悪く言えば大袈裟な感じのする毎日だと言える。
 朝が来たと言っては喜び、眠る頃には今日を惜しんで寂しがる。
 そんなふうにシマさんは、とにかくいつも気がつくと寂しがっているのだった。何かにつけて覚悟が足りないようにも見えるけれど、惜しまれている対象は、そこまで寂しがられたら、逆に嬉しくもあるんじゃないかとさえ思えてくるから不思議だ。


 ルリコさんは、朗らかだ。あまり物事に拘りすぎず、飄々としている。
 けれどそれでいて、全部を腕の中にひとかかえしているような、そんな懐の大きな人だ。
 シマさんが寂しがっていても、あらまあというふうに隣でおっとりとしているので、シマさんとルリコさんが並んでいると、なんだか非常にバランスが良い。
 そんな事を思っていたら、ある時ルリコさんはシマルリコになってしまった。
 シマさんは少しだけ寂しがるのが控えめになったようだけれど、ルリコさんは相変わらずで、二人を見ていると世の中はそれほど大変ではないんじゃないかと思えてくるのだった。