2007-01-01から1ヶ月間の記事一覧

短編『バトン』

からりと晴れた空。青は高くどこまでも突き抜ける色。周りに比較するものがないから、仰向けに倒れていたら体が浮いているみたいな気分になった。ざっと短く風が吹くと、地に任せた背中のあたりから幸福感に包まれる。この気持ちが何なのか、どこから来るの…

超短編『かわろ』

数日前から声がする。足元から声がする。 今日その声に返事をした。 かわろ、かわろと言うからには、きっと深く思うことあってのことだろう。 返事は短く、かわろと言った。 その瞬間、僕の影は僕になり僕は僕の影になった。 光は僕に射し、影の僕は僕の影を…

超短編『恋人たち』

朝の満員電車の中で、人目も憚らずに向かい合わせに身体を密着させているカップルがいた。 ただでさえ、見ず知らずの他人同士が否応なしに密着せざるを得ない状況にあって、お互いが望んで密着しあっている存在は正直鬱陶しい。余所でやってくれと言いたくも…

短編『スワン1号』

スワン1号は、この山中池湖公園の湖に一番最初にやってきた足漕ぎ式のスワンボートだ。池なのか湖なのか判然としない名前の公園ではあるが、一応山の中腹にある国立公園である。 四方を豊かな自然に囲まれた緑溢れる森の中のオアシス。とかいう的外れなんだ…

超短編『魚』

深夜、真っ暗な中、右手がどこにあるか分からないくらい冷えていて、それで目が覚めたらしかった。 布団から右手だけ出したまま眠っていたのだ。あわてて布団に引っ込めてみたが、布団の中が冷えるばかりで右手は一向にあたたまらない。 仕方なく、隣りで眠…

超短編『付箋』

昨年の初夏のことだった。 誰も気がついていないみたいだけど、あそこの角の新しいまだ誰も住んでいない家の、二階の正面の外壁に、一枚付箋が貼り付けてある。庇のすぐ下に長方形の、青い付箋だ。まっすぐ縦に貼ってあるから、きっと誰かがわざと貼ったのだ…

超短編『かはたれぞ』

「お母さんの声がするのに、お母さんがいないの」 まだ幼い娘が、頬に畳の跡をつけて目をこすっている。 夕暮れの色がじんわりと窓から差し込み、部屋の中を茜色に滲ませている。 畳の上に長く伸びた影。風が窓をカタンと鳴らす。 カタン、カタカタ。 「どう…

短編『レミング』

昨日、叔母さんがいらなくなったからと言ってレミングを持ってきた。 旧型のレミングだったけれど、それほど使われた形跡もなく、箱から出したばかりのように新品だった。 由宇はレミングに、しかも旧型のものになんてまったく興味はなかったけれど、さも欲…

超短編『携帯電話』

今朝、買って間もない携帯電話を思い切り踏み付けてしまった。 まず、二つ折りであることが基本だった。二つ折りのものが好きなのだ。 それからデザインや色、値段、様々な機能、手に持った時の操作性、重さに至るまで、とにかく比べて選びに選んで決めた携…

超短編『鏡』

あの旧校舎の四階の女子トイレ、鏡が全部ないでしょう。 他の階の女子トイレや廊下や教室にはあるのに、変だなって思ったこと、ない? 何年も前に、ひとつ残らず外してしまったんですって。 女子トイレの鏡にだけ………が、写るから。 だから外してしまったのだ…

超短編『ドライブ』

何年か前の夏に、夜、友人の運転する車でドライブに行ったんだ。 広い田舎道でね、見えるものは、畑とか原っぱとか、そんなのばかりだった。 広い土地で、空がとても高くてね、窓を全部開けてさ、気持ち良かったな。 月の明るい夜でね、のどかな風景にすっか…

短編『うさぎ君』

うさぎ君とは、ついこの間友達になったばかり。 長い耳は左右に垂れていて、空中に向かって鼻をひくひくする様子がとてもキュートだ。 わたしがくしゃみをすると、わたしの方を見たまま固まってしまうのが困ったところだった。 今日は初めてうさぎ君を家に招…

超短編『シャープペン』

これ、芯が出ないんだよね。と、彼女がさっきからずっと、シャープペンをカチカチ鳴らしている。どれ?貸してごらんよ。と言うと、ちょっと、待ってね。と答えてカチカチカチカチ。 そんなじゃ駄目だよと言うと、シャープペンの、芯を入れる方のキャップを外…

超短編『静寂』

静寂をぴんと引き結んで夜、待つ。 新年に向かって収束する一年分の時間と、これから来る一年分の時間を繋ぐ作業は本当に緊張を強いられる。 失敗は許されない。だから、静寂。緊張し、けれど弛緩しなければならない。 初めて海を見た人のように、来る波を恐…