短編『スワン1号』

スワン1号は、この山中池湖公園の湖に一番最初にやってきた足漕ぎ式のスワンボートだ。池なのか湖なのか判然としない名前の公園ではあるが、一応山の中腹にある国立公園である。
四方を豊かな自然に囲まれた緑溢れる森の中のオアシス。とかいう的外れなんだかなんなんだか、素直に納得できない謳い文句がついたパンフレットには公園内の地図がついている。ついでに、記念スタンプを押すための余白も設けてあり、一部五十円で公園入口の管理事務所で販売している。スタンプは無料で押せるので安心していい。
公園の中心は湖であり、湖の名前は山中池湖。瓢箪のくびれをやせ細らせたような形をしていて、一方を観光客に、もう一方を野鳥や野生動物たちのために管理しているのだった。
野生の彼らのために、森の中にある方の湖及び湖付近指定区画への一般人の立ち入りは禁止。
観光客用の湖には、手漕ぎボートが五台と、スワンボートが五台導入されていて、五月から九月の間、一回二十分千円で貸し出しされている。
高いような安いような微妙な値段だが、他に遊具などない公園だから来た人間の半数以上は湖に漕ぎ出す傾向にあった。
ちなみに公園パンフレットとボートレンタルの収益金は公園の管理費に回される自転車操業的側面を持ち合わせている。

湖の上に繋留しているスワン1号の話に戻ろう。
スワン1号は、ここにあるボートのどれよりも長くこの湖に浮かんでいる、最古参のボートである。
ある年の晩秋だった。
公園ではすでに冬期とされ、ボートの貸し出しは一切行わない。ボートはすべて湖から上げて、掃除されカバーをかけて保管される。
スワン1号も例外なく陸に上げられた。
しかし、スワン1号だけがふと気がつくと湖の上に浮かんでいるのだった。
誰かの悪戯にしても、寒い中、山の湖までやってきてボートを浮かべる意味が分からない。またボートを陸に戻すものの、やはり気がつくとまた湖に浮かんでいる。
見回りを多くしてみたが犯人を見つけることはできなかった。
仕方なくスワン1号は一週間に一度、陸に上げ直した。
翌年もスワン1号だけが勝手に湖に戻る。
そのさらに翌年も。
公園に長年勤めている人間は、スワン1号に意思があるような気がしてきて、毎朝夕見回りで通る度に声をかけるようになった。
当然返事はない。


かなり古くはなってきたが、スワン1号はまだ現役である。