2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧

超短編『迎え火』

錚々と冷えた空気が上昇してゆきます。暖められて、このわたくしの足元から。 何をしているのかと尋ねるひとがありましたので、迎え火をと答えましたらあとは何も言わずに立ち去ってしまいます。 構わず立っておりました。鋭く一度、百舌鳥が鳴きました。 や…

超短編『鈴』

バスの中でふいに鈴の音。こん、と落ちて、かろろんと転がる音。 あきらかに、いま、誰かが何かを落としたはずなのに、誰も頭を動かしたり下を見ようとしたりしない。 まるで乗客全員が、何か落ちても気にしてはいけないという暗黙の了解があるような頑さで…

超短編『匂い』

電車に乗ってうたた寝をしていたら、どこからか妙に粉っぽい匂いがする。 はて、女性の化粧品の匂いかと思って薄目を開けると、向かいの席に巨大な蛾が座っている。

超短編『リンカーネイション』

屋上から飛び降りた、こなこさんが実はバンジージャンプの失敗だった事実なんて結局どこにも報道されなかった。 遺書なんて当然なくて、こなこさんの遺志いやいや意志を尊重して「飛ぶ気満々」というメモをこなこさんの鞄に忍ばせておいた。 それを見たこな…

超短編『左手から』

左手と決別してからほどなく一年。北の小さな島に住む左手から、便りがあった。 ここはなにもかも理想の通りのところで、左手のわたしだけがこんなに幸せなのは少し寂しい。 そんな一言が、一面氷に覆われた海の絵葉書の片隅に、ぎくしゃくとした文字で綴ら…

超短編『まちあわせ』

暗い門の前に、立って、待っている。兄と、待ち合わせをしたのだ。 夕暮れ時と言ったのに、夜になっても現れない。忘れ去られたように、ぽつりと立っている自分がみじめになり、それでも、待っている。 門の影から、そっと兄の声が聞こえた。 水を汲んできて…

超短編『逃走中』

今や完全に追われる立場だった。少し前まで、立場は逆だったのに。 あの、砂浜に差し掛かったところでためらったのがいけなかった。 波が靴を濡らしたが走り続けた。 桃色の雲ばかりがきれいだった。

超短編『引く』

後ろから、服の裾をやけに引っ張られる。 いい加減にしろよと振り返ると、自分が必死に引っ張っている。 ぎょっとしたら、引っ張っていた方も同じ顔をした。

超短編『海辺の食堂』

ヤヌさんと海へ行くことになり、気乗りはしなかったがだましだまし海へ行く。 海へついたら曇っていて、空も海も鉛みたいな色だった。 ヤヌさんがクラゲを捕まえて、それを両手に持って踊っている。大海原を渡って来た風が、野暮ったい風体のヤヌさんを劇的…