短編『バトン』

 からりと晴れた空。青は高くどこまでも突き抜ける色。周りに比較するものがないから、仰向けに倒れていたら体が浮いているみたいな気分になった。ざっと短く風が吹くと、地に任せた背中のあたりから幸福感に包まれる。この気持ちが何なのか、どこから来るのか僕は知らない。
 土手の上、空と風と地の狭間。普段の自分からは想像もつかない穏やかさ。何もかも洗い流してしまったような、しんと深いところに降り立つような静寂。
 他人と親密になったり、軽口を叩きあったりするのが苦手なせいか、いつも周囲から少しばかり浮いている。いつでも何かしらの問題を抱えている。ひとつが片付いてもまたすぐに問題は生まれる。心の中で悪態をつきながら、顔は真逆の表情を作る。自分の仕事ぶりに満足できずに自己嫌悪に陥る。どうしたらその繰り返しから抜け出せるのか、想像もつかなかった。
 だからできるだけ長く、そうやって何かに一体化したような安らいだ時間を満喫していたかったのだが、静寂は破られた。
 視界を巨大なひまわりが横切り、思わず、安寧をもたらしていた地面と背中の接触を断ち切ってしまった。
 飛び起きて見えたのは、ひまわりを担いだ女だった。
 女の後ろ姿を見た瞬間、普段の僕なら決してしないであろうことをした。「立派なひまわりですね」そう声をかけたのだ。女は立ち止まりながら振り向いた。ひまわりは根ごと引き抜かれた様子で、女が振り返ると根から乾いた土がパラパラこぼれた。
 女は訳知り顔で僕の方へ、今辿った数歩分の道を引き返して来た。それで、声をかけなければよかったと少しばかり後悔する。
「はい」
 女は、そう言って担いでいたひまわりを差し出して来た。受け取れという意味にしか取れない。女の少し長過ぎる髪の毛が、ふらふらと風に揺れている。小さめの顔に、やや吊り気味の猫みたいな目をきらきらさせている。しばらくじっと見つめ合っていた。そこには、何の疎通もなかった。理解も、同調も。少なくとも僕の方には。
 女は、もう一度「はい」と言って、さらにひまわりを僕の方へ近づける。それでも僕が黙って立ったままでいると、半ば押し付けるようにしてひまわりを僕に持たせた。
「これね、次はあなたの番。このひまわりを植えなさい。種ができたら、来年の夏また花が咲くようにその種を撒いて、一番立派に育った一輪を根っこごと掘り出して、枯れないうちに次の人に渡すの」
「次の人…?」
「やってみれば分かる。わたしも前の人にそう言われたけれど、うん、本当にその通りだった」
 女はそう言うと、晴れ晴れとした笑顔を残して歩いて行ってしまった。僕は土手に突っ立ったまま女の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
 女の晴れ晴れとした笑顔がいつまでも頭を離れない。このひまわりを、女の言う通り次の誰かに渡したら、その理由が分かるのだろうか。
 僕はゆっくりと土手を下り、ひまわりを担いで歩き出した。ひまわりを植えるために。