連続短編・参『ミヤコ』-了-

世界がゆらゆらと揺れていると思った後、どうやらまた死んでしまったらしかった。
私は死んでいる。と、ミヤコは考える。
しかしどのような原因でそうなったのか、今度もまた因果関係に思い当たる節がある。
水面から水中に、何か尖ったものが飛び込んできたのだ。
思い返してみると、鳥だったように思う。
痛いとか、苦しいとか、そういう記憶はないので、一瞬の出来事だったのだろうなとミヤコは思う。
死んでいるのにどうして死んでいると判るのか、それはやはり解らない。
そもそも、生きていること自体が不可解だったので、死んでしまったとなると余計に不可解だった。
考えても無駄なことだとミヤコは勝手に納得する。
そして、今度もまた、何も無いのだけは確かだった。
手を伸ばして、自分の身体に触れようとしても、まず、その手がない。
ひとつ前は魚だったから、手はなくても不思議ではないのだが。
そう考えて、ミヤコは小さく、くすりと笑う。身体がないので笑ったつもりになる。
目を開けて周囲を見ようにも、目がなかった。
世界は無音で、自分には身体もなく、ぽんとそこに、何も無いなと思う意識だけがあった。


母が呼ぶ声がして、ミヤコは猫のように丸まっていた縁側で身体を起こした。
ミヤコは、自分の手を見つける。
その手を見つけた目が存在することに気がつく。
そして、自分が身体をもつ人であることを確認する。
私は、生きている。とミヤコは思う。


夏蜜柑を穫るのはいつもミヤコの仕事だ。
夏蜜柑の木の横に脚立を立てて登り、ひとつひとつもぎ取る。
枝の上を、主張の強い色合いの、奇妙な姿をした虫が歩いているので、指先でつまんで塀の外へ放り投げる。
ミヤコの意にそぐわない行いではあるけれど、つまり、夏蜜柑を荒らされないように。
虫は、塀の向こうから奇妙な声で、お前など死んでしまえと悪態をつく。
塀の向こうは、穏やかに民家が連なり、塀の内側も同様、境界は曖昧だ。
晴れた昼下がり、母は干した布団を叩いている。
その乾いた音が、屋根を越えて空へ吸い込まれていく。ミヤコは抱えていた夏蜜柑の匂いを嗅いでみる。
太陽に晒されたものに共通の、暖かな匂いがする。ミヤコは目を閉じる。
いくつもの季節、いくつもの生がミヤコを通り過ぎる。


名を呼ばれて、ミヤコは目を開けた。
母が呼んでいる。いつの間にか布団は取り込まれ、ミヤコは夏蜜柑をいっぱいに抱えている。座敷から庭をのぞき込んでいる母が見える。慎重に脚立を降りて家の中に入った。
夏蜜柑を母に渡し、母と入れ替わりに座敷へ入ると、畳んで積み重ねられた布団があった。
芯まで干されて、綿に含まれた空気が膨張し、ふわふわと柔らかくなっている。
特に何も考えず、その上に寝転がった。
天井を眺める。背中が暖かい。
庭に目を向けて、ふと、塀がなければ良いのにと考える。


また、母が呼んでいる。
ミヤコは聞こえないふりをした。


私は死んでいない。と、ミヤコはまた考える。
寝転んでいた布団の間に手を入れると、日向の匂いと共に、暖かな温度が伝わってくる。


夏蜜柑のジャムを一緒に作ろうと、母が呼びに来るまで、ミヤコは目を閉じる。



                                   -了-