超短編『夜の闇の中』

 暖かい季節になったので、深夜、コーヒーを片手にふらりと部屋を出て、そのまま勢い余って散歩に出掛けた。
 温い空気。太陽は地球の裏側に。極めて自己中心的な表現に自分で苦笑い。
 星の光は弱く、自己中心的な僕の周囲には闇。幻想は夜の闇の中に溶けているとか言っていたのは誰だったか。しばらく考えたが思い出せない。月の姿も見えず、誰とも行き会わなかった。深夜なのだから当然だ。
 夜の闇の中に溶けているのは自分だ。では自分こそ幻想か。
 夜の夢こそまこととか言っていたのは誰だったか。しばらく考えたがこれもまた思い出せない。
 立ち止まって星を見つめると、まるで迫ってくるように見えた。
 いつの間にか手に持っていたコーヒーが無い。空になったということではなくて、カップそのものが無い。
 落としただろうか。落としたらカップは割れるだろう。音も無く割れるはずはない。
 来た道を振り返るが、暗闇があるばかり。
 僕は辿って来た道を引き返し始める。幻想は夜の闇の中に溶けているかも知れないが、現実もまた夜の闇の中に溶けているに違いない。
 部屋へ戻った僕の手にはコーヒーが入ったカップ。すっかり冷めたコーヒーが少々。