短編『路地』

「この先の道で、ひとが捩じれて捩じれてツイストパンより捩じれて倒れていたってさ、なあ」
 知らない痩せた男が、わるわると話しかけてくるので急いでその場を去る。何故知らない人間に話しかけたがるんだろうかと訝る。
 角を曲がると太った婦人がやけに小さな口をいっぱいに開けてオペラを歌っているのに出くわす。
 「ら」と「わ」のちょうど中間くらいの発声が路地いっぱいにバラバラと降ってくるのがたまらず、急いで別の道へ入った。
 高い塀に囲まれた細い路地がくねくねと迷路のように入り組んでいる、そのどこか。歩いているうちにどちらから来たのか分からなくなる。
 灰色で大きくて細い猫が、塀の上をつつつつと滑って行く。猫はちらりと一瞥を投げて、そのままつつつつといなくなってしまう。
 猫が去って行った方へあてどもなく歩いて行くと、花売りの男が待ち構えていたように路地をふさいで立っている。
「旦那、旦那。お花をいかがです、ほうら、綺麗でしょう」
 咄嗟にいらないよと答えたが、どう見てもその辺に咲いていた野辺の花をざんざん切り取って来たような感じだ。
「お花、欲しいでしょう、買っていったらいいですよ」
 いらない。と答えるが、花売りの男は諦めない。
 行く先の道は花売りの男がふさいでいて通れない。それならばと来た道を引き返す。花売りが後ろをついてくる。
 またじぐざぐ歩いて行くとオペラがだんだん近づいてきて、先ほどの婦人が歌っていた角まで戻って来た。はじめに話しかけて来た痩せた男が太った婦人に向かって何か話しかけている。
「この先の道で、ひとが捩じれて捩じれてツイス」
 婦人の歌にかき消されて、痩せた男はしばらくもごもごと口を動かしていたが、こちらに気づいて近づいて来た。
 後ろをついてきた花売りが、勢い良く前に飛び出して痩せた男に話しかける。
「旦那、旦那。お花をいかがです、ほうら、綺麗でしょう」
「この先の道で、ひとが捩じれて捩じれてツイストパンより捩じれて倒れていたってさ、なあ」
 痩せた男は花売りから花を買い、花売りは花が売れると痩せた男の示した道へそそくさと歩いて行く。
 痩せた男はオペラを歌い続けていた婦人に花を差し出し、婦人はさらに一オクターブ高い声でお礼の歌を歌う。
 その声は路地の高い塀を越えて行った。