超短編『腕枕』

 鎌倉から帰るため、Kは恋人と一緒に電車に乗って、七人がけの座席に並んで座った。一番端に恋人が、その隣にKが並ぶ形だ。
 車内は空いていて、はじめこそ二人で、今日巡った場所や、他愛のない話題で盛り上がっていたが、じきに心地良い揺れと歩き回った疲れに負けて、すっかり寝入ってしまった。
 夢うつつに、左隣に座っている恋人が、首が疲れないようにという優しさだろう、右肩を抱く形で腕枕をしてくれているのが分かった。
 普段は人前でベタベタするのが苦手なKだったが、どうにも目が開かない。
 まあ、このくらいはいいだろう。そんなふうに考えて、また意識を手放した。


 どのくらい経ったのか、電車が動き出す気配でまた僅かに意識が浮上する。恋人は、まだ腕枕をしてくれていた。おかげで、首がカクンと落ちずに安眠することができた。
 薄目を開けて隣を伺うと、恋人はどうやら文庫本を読んでいるようだ。ぱらりと頁を繰る音がする。
 そこで、えっ?と思って、目を開けた。
 腕枕はまだある。しかし、恋人は両手を使って本を読んでいる。
 慌てて自分の右肩を見た。
 知らない手が、Kの首の後ろを通って右肩を掴んでいる。
 咄嗟に立ち上がると、腕だけがそこに残る。すぐに、すっと持ち上がり、消えてしまった。
 恋人が、呑気な顔で「まだ降りる駅じゃないよ」と言うが、Kはどうしても座る気になれず、降りる駅まで立っていた。