超短編『白い紙』

 夢のように静かな街をあなたは歩いている。
 賑やかなはずのショッピングモールには誰もおらず、アスファルトを割って草が生い茂っている。
 乾いた風が、草をそっと揺らす音しか聞こえない。
 高すぎてなかなか買えなかったマイナーブランドの洋服が、すっかり忘れられたまま日に褪せている。
 あなたは状態の良い気に入ったデザインの洋服をいくつか選び、試着室で着替える。鏡をのぞいてにっこりしてみた。
 良くお似合いですよ。そうね、気に入ったから全部頂くわ。まあ、ありがとうございます!
 同じショッピングモールの行きつけのカフェにはコーヒー豆がたくさんあるけれど、それを挽いて入れてくれる人がいない。
 コーヒーはいかがですか?ええ、ごめんなさいまた今度。またのご来店お待ちしております。
 駅へ続く通路は広い。がらんとした空間には、等間隔で街路樹が植わっている。
 遠くフェンス越しに線路が見えるが、動くものは何もない。
 どこかから飛ばされてきた真っ白な紙切れが、後ろからあなたを追い抜いて行く。
 あなたは高く舞い上がり、飛び回る白い紙を追って歩き出す。

超短編『秘密』

 風暦が秋を告げ、金木犀の木はそれとなく花を咲かせる支度を始めている。
 その証拠に、木の幹に顔を寄せると、幹からうっすらと花の匂いがする。
 幹に指を滑らせると、木が幹をくねらせたような錯覚を覚える。
 頭上で枝葉が、こそりと鳴る。
 鳥でも隠れているのかと見上げ、目を凝らすと、枝が一本だけ不自然に揺れるのが見えた。
 恥ずかしがり屋だと、悪戯に声をかけてみた。
 途端に、今揺れていた枝につき始めたばかりの小さなつぼみが、みるみる膨らみ金色を帯びる。
 一斉に花を開き、辺りにあの香りが広がる。
 そうしてはらはらと花をこぼして、思わず差し出した両手のひらに落ちてきた。


 金木犀が花盛りを迎え、街中いたるところからあの香りが届く。
 先だって花を散らしたあの枝だけ、緑色の空間がある。
 この金木犀の前を通るたび、ふたりだけの秘密だと言わんばかりに、こそりと枝が揺れる。

超短編『破』

 あの土手は、築しては貫かれる。
 何度も何度も、何度も何度も積み直された。
 夢のようだ夢のようだと、叫びながら駆け抜ける誰かの幻覚が見える。
 恐怖の声は裏返って、歓喜の声にさえ聞こえる。
 その誰かも、飲み込まれてもう居ない。
 今はただ、穏やかな桜並木の頑丈な土手に、通りかかった人が時折そっと手を合わせる。

超短編『電波』

 テレビで夏の怪談特集が放送されるという。
 それを知った一週間前から楽しみで、放送の一時間も前からテレビの前に陣取った。深夜の放送だから、うっかり寝てしまっても大丈夫なように録画予約も万全だ。
 暑い夜だったが、冷房も扇風機も切り、家中の窓を開け放った。その方が、怪談番組を見るのにふさわしいような気がしたのだ。
 お茶や、タオル、うちわも用意した。
 テレビのリモコンを探すが見つからない。テレビから、ニュースを読み上げる声がしている。顔を上げると、テレビには見覚えのあるアナウンサーが映っていた。
「あ、さっき点けたんだっけ?」
 答えてくれる人はいないが、思わずつぶやく。リモコンを探すのをやめて、ニュースを聞く。このニュースが終わったら、目的の番組が始まるのだ。
 真夏日の今日は各地で水の事故が多発。熱中症で救急搬送された人もたくさんいたらしい。
 お盆休みで帰省していた人のUターンラッシュ、強盗事件、殺人事件、交通事故、祭の話題、高校野球などのニュースを見ているうちに、いつの間にか怪談特集の番組が始まる時間を過ぎている。
 チャンネルを間違えていたのだろうか。慌ててリモコンを探すが、やはり見当たらない。
 仕方なくテレビ本体のスイッチでチャンネルを変えようと立ち上がる。
 顔を上げてみると、テレビは点いていなかった。ビデオデッキを見ると、録画中になっている。
 テレビ本体を操作して電源を点けると、楽しみにしていた怪談特集が始まっていた。
 けれど、どうも落ち着かない。楽しみにしていたのに、番組に集中できない。
 あのアナウンサーは、現役のアナウンサーなのか。あのニュースは、いつのニュースなのか。
 番組が終わってからすぐにテープを巻き戻し、頭から再生してみたが、怪談特集の番組がきちんと最初から録画されているだけだった。



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というわけで、間もなく始まりますよ。

日本怪談百物語 2009/08/15 24:35―28:00 NHK総合

江戸時代より伝わる、怪談の伝統式スタイル「百物語」。百の話を語り終えた時、本物の怪が現れるという。個性豊かな10人の語り手たちが、百の怪談を語りついでいく。
10人の語り手は、一龍齋貞水(講談師・人間国宝)、加賀美幸子フリーアナウンサー)、蟹江敬三(俳優)、小倉久寛(俳優)、緒方恵美(声優)、国生さゆり(女優)、松下由樹(女優)、山崎バニラ活動弁士)、半田健人(俳優)、溝口琢矢(俳優)。10人はそれぞれ趣向を凝らしながら、個性的な語りを披露する。「四谷怪談」「雪女」「耳なし芳一のはなし」など、2人がペアを組み、朗読芝居の趣をなすものもお送りする。
出演
【朗読】一龍斎貞水加賀美幸子蟹江敬三小倉久寛緒方恵美国生さゆり松下由樹山崎バニラ半田健人溝口琢矢

超短編『白猫』

 突然、真っ白なカーテンが風をはらんで大きく捲れた。
 教室にいるのは日直の僕だけで、驚いて椅子から転げ落ちそうになったのを見られずにすんだ。
 三階の窓からの景色は、雑木林。
 少し日が傾きかけているので、昼間は生き生きとしていた緑の木々も少し薄暗い。


 窓なんて開いていたっけ。おかしいなあ、ちゃんと閉めたはずだったのに。
 そう思って立ち上がりかけたら、カーテンの向こうに猫がいるのが見えた。


 カーテンと同じくらい白い猫だ。耳がつんとまっすぐに立っているのが印象的で、大きな目でじっとこちらを見ている。
 毛並みも顔立ちも綺麗で、思わず見とれてしまった。
 学校の敷地に猫が入り込んで来ることはそんなに珍しくないけれど、校舎の上の階まで上がってくるのは珍しい。放課後で人が少ないせいだろうか。
 また風が、カーテンを捲り上げる。
 書きかけの日誌のページがバラバラと音を立てて捲れ、そのまま煽られて机から落ちた。
 その大きな音に、思わず猫から目を離して床の上に落ちた日誌を見る。
 再び窓の方を見ると、まるで何事もなかったように、カーテンはおとなしく窓にかかっていた。
 あわてて窓辺に駆け寄り、カーテンをめくってみる。
 窓は閉まっていた。
 猫の姿はどこにもなく、窓の外の木々が、風にあおられてざわざわと音を立てているばかり。

超短編『夜町』

 絶え間なく風が吹き抜ける晩だった。軒先に吊した風鈴が鳴り続けている。
 窓から外をのぞけば、雲の向こうに滲んだ月が。どこかの家から赤ん坊の夜泣きの声、そしてあやす声が聞こえてくる。
 夜はまだ明けず、取り残されたように眠れず、ひたすらに夜泣きの声を聞いている。
 私もまた、赤ん坊の頃は夜泣きをして両親を困らせたのだという。両親は夜毎代わる代わるに私を抱いて、夜の土手を歩いた。するとじきに泣き止んで眠り、朝まではおとなしい。
 あんなごうごう流れる川の音が良かったのか、今となっては定かでない。
 いつの間にか夜泣きの声は止み、風の音だけが聞こえている。
 風鈴はどうしたのだ、と思ったが、まるで吸い込まれるように眠気に誘われ、あとのことはよく分からない。

超短編『下町マンション』

 東京都K区Mにある、某マンションには新築でまだ人が入居する前から、住んでいる何者かがいる。
 下町で、かき氷屋、八百屋、豆腐屋などが売り歩きに来る。売り歩くと言っても、実際は自動車で回って来る。古い建物もまだ多い。そんな場所だ。
 工事中とはいってもほぼ完成に近い状態で、内装関係の職人が昼休み、最上階の広いリビングで同僚と二人で横になって昼寝をしていた。
 Aは部屋の中央辺り、Sは横になったAが頭を向けている壁側に離れて、それぞれ仰向けに寝転がった。
 夏の暑い盛りで、暑さと仕事の疲れでAがうとうとしていると、頭上からパタパタと床を叩く音が聞こえる。
 最初は気にせず寝ていたが、しつこくパタパタいうのでだんだん気になってくる。
 どう考えても、組んだ足の片方で床を叩いている音だ。こんなにパタパタ響くのは、スリッパを履いているせいだろう。
 それでも眠かったAは、そのパタパタという音を聞きながら昼休みの終わる時間まで昼寝を続けた。
 昼休みが終わってからSに「足をパタパタ鳴らして、うるさかったよ」と言うと、Sはきょとんとした顔をする。
 足なんて組んでいないし、パタパタ鳴らしてもいないし、そんな音も聞こえなかったと言う。だいたい、疲れて一緒に寝ていたのだ。
 それもそうだとAが足下に目を向けると、二人ともスリッパなんて最初から履いていない。
 誰かが一緒に昼休みを過ごしていたらしい。